読書感想:『白いサーフボード — 日本で初めてサーフボードを作った男 高橋太郎の伝説』

とあるサーフィン雑誌で紹介されていて、直ぐにでも読みたくなった本です。Amazonで調べたら、もう絶版で中古の値段が何と5.8万円! とても買える値段ではないので、図書館でないか調べたら、ありました。

  • 1960年:拾ってきた雑誌に載っていた写真だけを頼りにサーフボードを作成。
  • 東京の下町(北千住)で本業(レザークラフト)をしながら、サーフボードの制作に没頭。
  • いつの間にかサーフボード製作が本業となり、60年代後半の第一次サーフィンブームでビジネスは軌道に乗ったかと思ったところで、ブーム終了で大手メーカーから大量の在庫責任を負わされ、夜逃げ。
  • 細々とシェイピングを続け、70年代の第二次サーフィンブームで再び本格再開、、、と思ったら千葉にある工場が全焼し、完成したばかりのボード250本程が灰と化す。保険に入っていたが、一部でも焼け残ったサーフボードは保険の適用対象から外れ数千万の借金を抱える。
  • 千葉(夷隅)に移住。自前で自宅を作り、新聞配達員をしながら家計を支える。

一気に読んでしまう内容の濃さでした。あまりクドクドと書くと却って色あせてしまいそうなので、高橋さんのことは、息子さんが営んでいらっしゃるサーフショップ『Ducks Surf Shop』にある「Ducksの歴史」を読んで頂いた方がいいのかなと思います。

60年代初頭のお堅く、保守的な日本で、文字通りゼロからシェイピングを始め、サーフカルチャーの誕生に関わってきた高橋さん。「日本サーフィン界のパイオニア」という形容だけでは、とても言葉が足りないような濃密な人生を歩まれたことがビッシビッシ伝わってきました。

以下、印象的だった部分の引用です。

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「もう再起できないと思ったよ。真剣に、死んじまおうかと思った。サーフィンをやっていなかったら、本当に生きていなかったかもしれない・・・。すべてはバランスなんだよ。いいことがあれば、その後に悪いことがある。そう思っていれば、悪いことも受け流すことができる。そのバランス感覚をおれに教えてくれたのも、サーフィンだった」(167頁。千葉の工場が全焼になったときを振り返って)

「後のことを考えないでやり始める。原発は危ないよ。あれが人類の命取りになるかもしれない。日本人は広島や長崎を経験しているのに、ばかな国民だ。事故が起きても、隠されればわからない。」(182頁。千葉で新聞配達員をしながら、自給自足に近い生活をするなかでの言葉)

「自分の子供とカミさんには俺の作った米を食わせたい。そう思って始めた稲も元気に育っている。大原に住む手塚さんという自然を守るためにガンバっているいる高校教師からいただいた古代米も植えてみた。沢山米を作って、旨い飯を食おう。ドブロクも作ろう。モチもつこう。ポンセンベイだって作れるぞ。”あっ”と思った。サーフボード作りの最悪の素材、ウレタンフォーム。いつまでも腐らず、燃やせば猛烈な勢いで黒煙と共にダイオキシンを吐き出す!そんな物をもう四十年近く作ってきた。ただ安くて軽くて安定しているというだけの理由で。米だ!米でフォームを創れば、自然で誰にも迷惑のかからない板ができるかも知れない。馬鹿な滅反政策のために先祖伝来の立派な田に草をはやしている農家の人のためにも役に立つ。大地震のときの非常食にだってなる。削り滓のゴミだって家畜の餌にできる。どうしようもなくなっても土に返っていく。これいいよ!米のサーフボード。」(225、226頁)

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この本の初版は1998年発行。原発への言及や環境に配慮したボード素材のこと等、比較的最近になって注目されている事柄に、20年も前から警鐘を鳴らしているその着眼点も凄いなと思いました。

また、巻末に掲載されている高橋さんご自身が書かれた寄稿文の中で触れられている、ベトナム戦争から帰還した元兵士との会話部分がとても奥深く、心に響くものがありました。