モーリス・コール(Maurice Cole)

往復約3時間かかる通勤時間にポッドキャスト(ネットラジオ)でサーフ系の番組を聞いています。その中で一番面白く、毎回何らかの気づきを得られる番組が”Surf Splendor“。番組ホストのDavid Lee ScalesはU.S. Blanksのクリエイティブ・ディレクター。豊富な知識・経験をもとに毎回多彩なゲスト(シェイパー、選手、写真家その他サーフ関係者)から本音を聞き出してくれます。

今まで聞いた中でもっとも自分の心に響いた放送は、モリス・コール(Maurice Cole)がゲストで登場した回(約120分のインタビュー)。

from YouTube clip by Stab

放送を聞いた後も、その波乱万丈な人生や独特な視点が気になって、ウェブで調べてみました。(残念ながら現時点では伝記本・自伝本の類はないようです。)

以下、備忘録的に来歴等を纏めてみました。

ソース:
Surf Splendor (2018年12月27日放送分
Maurice Cole Surfboards: “Maurice Cole – a history.  The Early Years
ABC Central Victoria: “Maurice Cole is still riding life’s waves” (written by Larissa Romensky)
THE SURFER’S JOURNAL 27.3: “Interview: Maurice Cole” (by Derek Rielly)

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1954年3月1954年オーストラリア・ビクトリア州(Terang)出身。生後すぐに養子としフランク・コール&メアリー・コール夫婦に引き取られる。同夫婦は後にもう一人養子縁組をし、二人兄弟の長男として育てられる。

両親ともに熱心なプロテスタント教徒であったため、幼少期は週に2、3回は教会に通っていた。

生みの親がアボリジニ(※記事によってはマオリ族)であったこともあり肌の色が浅黒かったモリスは、小学校で唯一の有色人種としていじめの対象になった。今の彼からは想像できないが当時は「殴り返す術を知らなかった」とのこと。

1960年(6歳)、一家はビクトリア州ウォーナンブールに転居。父親は近辺で最大規模の種苗生産・販売会社を経営するとともに、お土産屋(←ウォーナンブールは風光明媚な富裕層向けのリゾート地)も展開していた。

1966年(12歳)の夏、モリスはサーフィンと出会う。海を歩いていた彼は砂浜に5シリングが埋まっているのを見つけ、そのお金でサーフボード(ロングボード)をレンタル。波に押されながらボードの上をステップ移動した瞬間、たとえようのない感動を覚えた彼は本能的に「自分のボードを持ちたい」と考えた。

from YouTube clip by Stab

新聞配達等のアルバイトをしてお金をためたモリスは、大きなDフィン付の中古ロングボード(9’3″)を購入。以降は自転車に載せて自宅から海まで通う日々。とにかくボードのサイズが大きく、本人曰く「どうやって運んだかもう覚えていない」。当時ウェットスーツはまだ存在せず、冬でもショーツとラグビー用のジャケットを着て海に出ていた。

毎日のようにサーフィンをしていると、片側のテール部分が擦り切れて使えなくなってしまった。そこで彼は反対側のテール部分をカットし、業務用ボンドで固めることにした。「これが自分が最初にシェープしたピンテールボードだと思う」

その後モリスは地元のライフセーバーチームに入る。海辺の倉庫にボードを置けることが動機だったが、ライブセービングの厳しいルール/規律は彼には向かなかった。上手にサボろうとしてもチームのキャプテンに見つかってチーム参加停止などの処分をくらってしまう。

そんな彼だったが、ある日地元のサーフクラブ(The Warrnambool Boardriders Club)の面々が、V8エンジンやツインパイプを搭載したカスタム車をビーチに停め、颯爽とサーフィンを姿を目にする。キャプテンに「ファッ○・ユー!」と言い放ち、モリスはライフセーバーチームを辞めてしまう。翌日から同サーフクラブに参加。

1972年(18歳)、一家はビクトリア州トーキーに移住。

1974年(20歳)、ベルズビーチでの大会に優勝し、ビクトリア州チャンピンとなる。

1975年(21歳)、ハッシュ・オイル(液状大麻)の所持により逮捕。22ヶ月間の保釈の後、懲役4年(模範囚の場合は最速で3年)の判決を受ける。

当時を思い出してモリスはこう語る。

初犯でこれだけの思い罰を受けたのは、今思うとサーファーに対する見せしめ的な意味もあったかと思う。

刑務所は本当に酷いところだった。囚人が刺されたり頭を金属棒で殴られるようなシーンを見てきた。リンチされて殺される奴もいた。常に緊張状態だった。

刑期を終えて刑務所を出たとき、自分はそれまでと全く違う人間になっていた。

1978年(24歳)に釈放。翌年モリスは再び州チャンピオンとなり、80年には世界ランク5位入賞。

その後、Margaret Riverで自身がシェープするボードブランド”MC Surfboard”を展開。

モリスの”Reverse V”を採用したボードで、ライダーのTom Currenが1991のASP年間チャンピオンとなる。

サーフィンブームもあって日本だけで100万ドルの収入を得る程にビジネスは軌道にのり、一時は世界でもっとも稼ぐシェイパーと呼ばれるようになる。しかし多忙な業務はモリス自身の心をむしばむことになる。(後に彼は医者から「30年間治療を受けていない鬱状態だった」と診断される。)

2003年(49歳)、トーキーに戻る。Darren Handley(DHDのファウンディング・シェイパー)、Simon Anderson(スラスター・フィンの開発・導入で中心的な役割を担ったシェイパー)といった面々をあらたなチームメンバーとして迎え、自身は経営者としてボード制作・販売プロセスを垂直統合した会社”Base”を立ち上げる。

2011年(57歳)、Baseは経営破たん。債務整理の対象には”Maurice Cole”という彼自身の名前が入ったサーフブランドも含まれていた。シェイパーにとって自分の名前でシェイプできないことは命を削られるようなもの。弁護士を交えた約6ヶ月の交渉の末、Maurice Coleブランドを取り戻すことはできたが、この間の精神的な苦しみは今も彼の心の中に刻まれているとのこと。

会社清算に伴うゴタゴタが収束するとともに、モリスは波が良ければRoss Clarke Jones(ビッグウェイバー・レジェンド)とサーフィンをする一方、自身によるカスタムボード・シェイピングを再開。

Baseの清算から5年後にはガンと診断され余命数年を宣告されるも、Matt Biolos(Lost)その他友人のサポートにより最先端の手術・治療を受け、食生活も変える(←菜食主義&乳製品・穀物・パスタもとらないビーガンスタイル)ことでこれを克服。その後に再発したガンもホルモン療法・放射線治療で治癒。

現在はカスタムボード専門のMaurice Cole Surfboardsを展開。顧客と直接関係を持つことを重視し、原則ボードをストアに置くことはしていない(例外はPatagoniaと米東海岸HatterasにあるREAL Watersports)。

顧客や友人と会うため/The Boardroom Showといったイベントに参加するため、頻繁にアメリカ、フランス、日本を訪れている。