モーリス・コール(Maurice Cole)
往復約3時間かかる通勤時間にポッドキャスト(ネットラジオ)
今まで聞いた中でもっとも自分の心に響いた放送は、モリス・コー

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放送を聞いた後も、その波乱万丈な人生や独特な視点が気になって、
以下、備忘録的に来歴等を纏めてみました。
ソース:
Surf Splendor (2018年12月27日放送分)
Maurice Cole Surfboards: “Maurice Cole – a history. The Early Years”
ABC Central Victoria: “Maurice Cole is still riding life’s waves” (written by Larissa Romensky)
THE SURFER’S JOURNAL 27.3: “Interview: Maurice Cole” (by Derek Rielly)
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1954年3月1954年オーストラリア・ビクトリア州(Ter
両親ともに熱心なプロテスタント教徒であったため、幼少期は週に
生みの親がアボリジニ(※記事によってはマオリ族)であったこと
1960年(6歳)、一家はビクトリア州ウォーナンブールに転居
1966年(12歳)の夏、モリスはサーフィンと出会う。海を歩

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新聞配達等のアルバイトをしてお金をためたモリスは、大きなDフ
毎日のようにサーフィンをしていると、片側のテール部分が擦り切
その後モリスは地元のライフセーバーチームに入る。海辺の倉庫に
そんな彼だったが、ある日地元のサーフクラブ(The Warrnambool Boardriders Club)の面々が、V8エンジンやツインパイプを搭載したカス
1972年(18歳)、一家はビクトリア州トーキーに移住。
1974年(20歳)、ベルズビーチでの大会に優勝し、ビクトリ
1975年(21歳)、ハッシュ・オイル(液状大麻)の所持によ
当時を思い出してモリスはこう語る。
初犯でこれだけの思い罰を受けたのは、今思うとサーファーに対する見せしめ的な意味もあったかと思う。
刑務所は本当に酷いところだった。囚人が刺されたり頭を金属棒で殴られ
るようなシーンを見てきた。リンチされて殺される奴もいた 。常に緊張状態だった。 刑期を終えて刑務所を出たとき、自分はそれまでと全く違う人間
になっていた。
1978年(24歳)に釈放。翌年モリスは再び州チャンピオンと
その後、Margaret Riverで自身がシェープするボードブランド”MC Surfboard”を展開。
モリスの”Reverse V”を採用したボードで、ライダーのTom Currenが1991のASP年間チャンピオンとなる。
サーフィンブームもあって日本だけで100万ドルの収入を得る程にビジネスは軌道にのり、一時は世界でもっとも稼ぐシェイパーと呼ばれる
2003年(49歳)、トーキーに戻る。Darren Handley(DHDのファウンディング・シェイパー)、Si
2011年(57歳)、Baseは経営破たん。債務整理の対象には”Mauri
会社清算に伴うゴタゴタが収束するとともに、モリスは波が良ければRoss Clarke Jones(ビッグウェイバー・レジェンド)とサーフィン
Baseの清算から5年後にはガンと診断され余命数年を宣告され
現在はカスタムボード専門のMaurice Cole Surfboardsを展開。顧客と直接関係を持つことを重視し、原則ボードをストアに置くことはしていない(例外はPat
顧客や友人と会うため/The Boardroom Showといったイベントに参加するため、頻繁にアメリカ、フラ